特集記事

理路雑然 /-28-

2015年03月07日(土)

特集記事

理路雑然

 東日本大震災から4年が過ぎようとしています。時の経過と共に記憶が風化し、災害への備えの意識が薄れていっています。震災直後の3月「全建ジャーナル」の巻頭言がたまたま私の当番でした。いささか感情的文章だったのですが、その時の巻頭言を改めて読んで頂きたいと思います。

  まけるな東北  どれほどの涙が流れたのだろう。悲しみと無念さと、それに感動の涙が。大きな波は大切なものを奪っていった。大きな波が奪っていったものを忘れない。しかし大きな波は大切なものを残していった

  雪の中を必死に家族を捜す姿に涙した。最後まで人を助けようと働き、波に呑まれた人に涙した。濡れて残った写真の若い命の笑顔に涙した。肉親を失いながらも、支援に感謝し逆に相手を気遣う言葉に涙した。じっと順番を守り譲り合う思いやりに涙した。人を責めず伏し目がちに我慢する姿に涙した。余震の恐怖が続く中、勇気づけ励まし合う微笑みに涙した。家を失いながらも、明るく振る舞い故郷を思う言葉に涙した。危険を顧みず復旧に働き続ける姿に涙した。すべてを失いながらも復興を誓う人に涙した。離した手が別れになった辛さと後悔に涙した。危険な原発に赴く使命感と送り出す家族の心境に涙した。残してきたペットを子供のように気遣う言葉に涙した。瓦礫の野に咲いた桜に涙した 

 極限のとき大切なものが見える。普段は当たり前過ぎて何も感じないことが、どれほど幸せだったの分かる。普通の生活がどれほど満たされていたのかが分かる。全てをなくした人が豊かな心を持ち、多くを持つ人の心が貧しいのは何故か 

 私がいる長崎は長崎大水害を経験した。島原の普賢岳噴火災害もあった。困難とは逆に人々の心はひとつになり、復興の目的のため生き生きと働いた。阪神淡路大震災の時も、復興に心を寄せ合う人々の姿があった。人の痛みが自分のことのように、お互いが一体感をもって励まし合った。しかし復興が進むにつれ、それまでの人と人の繋がりが薄れていったと聞いた。人の心の温もりが消えていったとも聞いた。あの時が懐かしいという声も聞いた  私たちの記憶と熱気は薄れ、愚かにも日常に溺れ、甘え、奢り、欺瞞に陥っていなかったか。損だ得だとか、無駄だとか、最低限の生活基盤さえ軽んじる世論を許してしまったのではないか。百年以上前に建てられた「ここより下に家を作るな」という石碑が伝えるものは重い 

 今回の震災復興は長い戦いになる。震災復興と言うよりも防災国家建設といえる。私たちの仕事はその大切なものを作ることだ。今の思いを長く保たなくてはならない。自信と誇りをもって頑張ろう  全国建設業協会の広報戦略会議は、ご苦労されている被災地の仲間と心をひとつにする思いを込めて、「まけるな東北」のデザインのヘルメット用応援ステッカー、ポスター、車両用ステッカー、ピンバッチを作りました 

 「まけるな」は、薩摩(鹿児島)の「負けるな」「嘘を言うな」「いじめるな」という三つを子供の教育指針として受け継いできたことに拠ります。「負けるな」とは「自分に負けるな」という意味と言われています。まけるな東北!


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