理路雑然 /-65-
2016年08月13日(土)
特集記事
理路雑然
オリンピックの目的はスポーツを通して心身向上、文化・国籍・宗教・国益など様々な差異を超え、平和な世界の実現に貢献すること。単に勝ち負けや記録ならば世界選手権やワールドカップがある。しかし残念ながらメダルに目がくらみドーピングなど問題を生じている
戦争とは国家間の大規模な喧嘩か殺し合いと思っていたが違うらしい。喧嘩には武器を使わないルールがあり、殺し合いも双方同様の条件で戦う暗黙のルールがある。守らないと、勝っても卑怯者とされる
実は戦争も戦争法という国際法がある。宣戦布告や非戦闘員への攻撃禁止、捕虜の扱い、毒ガスや非人道的兵器?の禁止)など、守られているかは別としてルールはある。戦争に勝った側の兵士が戦争犯罪に問われることも
古来戦争は軍隊同士が戦うもので一般の国民はそれほど関係なかった。それが怪しくなってきたのは、近代武器が大型化し、先制攻撃や都市への空爆など無差別攻撃が始まったからだ。施設を破壊し、大量殺戮により戦意を失わせ、戦闘能力を奪い、早く戦争を終わらせるという理屈だ。その最たるものが核攻撃。これはもう戦争とは言えない。卑怯者の武器であり人類絶滅の兵器だ 戦争は国と国のものだったが様相が変わってきた。国とは言えない勢力との紛争やテロが多くなってきた
リオ・オリンピックの開会式では、難民五輪選手団が堂々と入場した。ISやアルカイダも古代オリンピックのように、戦争やテロ停止しオリンピックに代表団をだせばいいのに。自爆テロの心配がある?