理路雑然 /-71-
2016年11月05日(土)
特集記事
理路雑然
不寛容社会だそうだ。「寛容」が、広く人の言動を受け入れ、過ちや欠点を厳しく責めないことなので、その逆になる。政治家が言葉尻を捉えて、追求、審議拒否や辞任を求めることは以前からだが、似たようなことが世間にも広がってきた。ちょっとした?過ちや欠点、言葉の選択、態度、男女問題をめぐって、個人や組織が糾弾され続ける。インターネットを通じての無記名書き込みが飛び交い、それをマスコミが番組でエスカレートさせる。いわゆる「炎上」だ。西部劇に出てくる集団リンチ
夏休み朝のラジオ体操や公園の子供の声、保育園の立地なども騒音だしてと苦情が多い。会社でも言葉に注意しないとセクハラ・パワハラと責められる。冗談も迂闊に言えない。余りに厳格な社会は、対立を生み社会そのものが萎縮する。結果自由な言論や大胆な発想を封じてしまう
どうしてこんな息苦しい風潮になったのか。自分のことはさておいて、他人を非難してばかりいる人たちが増えた。ネット住民だけでなく、テレビのニュースキャスターや番組司会者も正義漢面で話すのを見ると、あなた言う資格あるの?と思う。根底に日本人が持つ潔癖性や嫉妬心、多様さへ敵意、弱者の開き直りが語られる
勿論寛容と不正容認とは違う。特に違法・脱法行為はしっかり見張るべきだろう。とは言え、昔「馬鹿者!2度とやるなよ、今回は見逃してやる」と言ってくれた教師や警官のことを思い出すと、「絶対許さない!」と言われたより効果があったのだと思ってしまう。