理路雑然 /-74-
2016年12月17日(土)
特集記事
理路雑然
業界団体の研修会で、山形弁で話すアメリカ人のダニエル・カール氏のゲスト講演があった。議題は日本語と外国語の違いについて。学問的には文化人類学の範ちゅうだ
まず最初の指摘は「日本語には主語がない」こと。英語の授業の最初のフレーズは"I have a pen"だ。必ずI、You、Weや名詞から始まる。会話もそうだ。ところが日本語にはそれがない。「誰が 」と言うことが抜け落ちている。これには随分混乱したそうだ。「誰」が思うのかするのか不明なのだ
次に「あれ」という言葉。あれ取ってとかあれ済んだ?とか色々。具体的に示さず「あれ」で通じる。確かに便利な「あれ」だが外国人には分からない。日本人同士の会話では以心伝心、なぜか通じている
婉曲、謙遜の表現も独特のものだ。明確な拒否表現を避け、「考えておきます」などと言うと、外国人は本心が分からず誤解する。「つまらないものですが」という贈り物、粗末な家という立派な家、愚妻・バカ息子と紹介する家族など。謙遜の美徳とされることも世界的には理解不能なことだ
いずれも日本という国が長い間、同一民族による共通の文化と慣習、価値感に統一されてきたせいだ。多様な言語や価値観をもつ人種が混在する国ではこうはいかない。「誰」が「何」をかを明確にしないと通じない。イエスとノーを明確にしないと命に関わる。ストレートな話が実は親切なのだ
日常的には愛すべき日本の文化ではあるが、特にビジネスの世界ではダニエル・カール氏の指摘が大いに参考になる。