特集記事

理路雑然 /-83-

2017年05月13日(土)

特集記事

理路雑然

一万円札の福沢諭吉は明治の初め「学問のすゝめ」を書いた。天は人の上に人を造らずと言われているが、現実には平等ではなく大きな差がある。その理由は、学んだか学ばなかったかによるものであると  

教訓的に言うと「勉強しないと安月給でこき使われ、惨めな一生になるぞ」となる。これはこれで封建時代から抜け出し、新しい価値を求めた時代にあって新鮮だった。学問さえあれば将来に希望が持てた   

ピケティは「21世紀の資本」の中で、その教育でさえ貧富の差が決定し固定化しているという。富裕層は子供に費用がかかる高等教育を受けさせ、高所得な職を得る。貧困層は高等教育を受けられず、そのことが低所得の職に甘んじることになり、更に子供に高等教育を受けさせることが出来ないという循環。この貧富の構造は引き継がれ固定化する。それはアメリカンドリーム(一発当てれば大金持ち)や努力の結果では納得できない格差だと   

国は奨学金制度を充実させ教育の機会を広げるという。いいことだ。しかし学問が出来なければというのは疑問だ。人は向き不向きでその人に適した職業や役割がある。それを皆が認め合わなければ別の意味で格差が広がる。どんな仕事も社会の役に立っている。役に立たない職業は消える   

とはいえ平等悪は人を堕落させる。誰でも様々な能力を持っているものだが、優れた能力があるかを知らずにいる場合が多い。ソニーの創立者盛田昭夫の語録に「学歴はなくていいけれども、学力はなければならない」とあった。然り。


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