特集記事

理路雑然 /-86-

2017年06月17日(土)

特集記事

理路雑然

国を相手取った裁判で国が負けると、訴えた側が「全面勝訴」の紙を掲げている姿がニュースで流れる。マスコミの、弱者と強者、善と悪に見立てた単細胞な報道を見てると複雑な気分になる。国が負けるとはどういう意味か?  

敗者の国は国家賠償法で賠償責任を負う。国が賠償するということは、国民一人一人が金銭(税金)的に支払い責任があるという意味だ。つまり国や県が悪いということは我々が悪いということになる。原発でも沖縄の基地問題でも、諫早湾干拓や学校での生徒の事故も、国や自治体が敗訴すれば、何も知らず関係もない我々が責任を負う。これを納得するのは難しい  

本当はいったいどこに責任があるのか?。政治家や役人に金銭責任を負わせることは通常出来ない。法律を作り、国の予算を決める政治家だが、問題すべてを理解し予測できているわけではない。さらにその政治家が選んだ人たちが政府を作る複層構造だ。選挙民は政治家を選ぶ時も先のことを理解して選んでいるわけではない。役人も決まったことを、巨大な組織の中の歯車のひとつとして実行しているに過ぎない。責任を問えるのは法律に違反した時だけだ  

大袈裟に言うと間接民主主義の構造上の欠陥の一つはここにある。責任の所在がなくなるのだ。だから政府や行政だけが悪いように思うのは間違っている。結局選んだ私たちに責任があるのだ。更に裁判所の判断に「被害者救済」が入るので余計に物事が分からなくなる。法律関係者の話を聞いても実感からはほど遠い。


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