理路雑然 /-93-
2017年10月07日(土)
特集記事
理路雑然
高校卒業後、東京の美術大学に進んだ。よくなぜ美大にと聞かれるが、「才能があったから」と図々しく答える。当時は本気でそう思っていた。数十倍の難関を突破し入学するとそんな思い上がりはすぐにズタズタにされた。周りは才能に満ちあふれた連中ばかりだったからだ。専攻は視覚デザイン科だった。最初の一年間は毎日午前中デッサンの時間。バケツから始まり、自動車のエンジン、大きな木の根、最後は裸婦と進む。形の正確さ、空間認識、光と陰、質感、それらの表現力を学ぶ。授業が進むにつれ、周りの天才たちが持つ色彩の感性、バランス感覚、創造力は、小天才の学習や努力、経験だけでは太刀打ちできないと思い知らされた。天性の優れた素地の更に上に成り立つ分野だ。運もある。そのような世界があるのだ。音楽や美術、スポーツ、文芸などはそうだろう
卒業後大手の印刷会社のデザインセンターに入った。広告宣伝とか本の編集、写真などに携わったが、これら応用芸術は学校で教育された知識や感性がまだ役に立った。ところが大手広告会社の過労死が問題になったように、当時から昼夜も休日もないひどい職場だった。給料は大卒初任給の3倍以上だったが、一年ほどで疲れ果てて休息のため長崎に戻った。いずれまた東京に戻り花を咲かせようと思っていたが、実家の仕事を手伝っている内に、光陰矢のごとし、今になってしまった 惜しむほどの才能ではなかったが、夢は破れた。いやいや、「夢破れて山河あり」だ。「人間到る処青山あり」