特集記事

理路雑然 /-96-

2017年11月25日(土)

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理路雑然

多くの日本人がそうであるように、宗教は何ですかと聞かれると返事に困る。信心深くはないが神社仏閣を訪ねるし、お参りもする。家には仏壇も神棚もあり、毎日手を合わせている。神式の結婚式や仏式の葬儀のことも考えると宗教は身近だ。長崎は精霊流し、おくんちがありこれも宗教行事。それに神社仏閣の建築や庭、仏像、絵画は魅力的だ  

ありがたいお経は聞いても足がしびれるだけで意味不明。そもそも釈迦樣は何を説いたのか聞かないし、以前から疑問に思っていた。というのはどうやらお経の大部分は釈迦没後数百年後から作られ始めたものらしいからだ。仏像もそうだ。布教活動期の記録は少なく、あっても斬新で奥の深い教えとは感じられない。また釈迦が複数形で書かれたものもあり、釈迦が一人の人間だったかは疑問だとの説がある  

その後仏教が東アジア各地に広がり、政治化したり地域の信仰と混じり合い多様化したのが現在の姿だ。日本では幾度か伝来の経緯があったが、特に鎌倉期に個性的宗派が多く発生した。その中でいかにも日本的仏教に変容する。各宗派の宗主の魅力的で思慮深い思いが色濃く反映されている。神仏混淆もある。日本人が元々持っていた価値観が仏教を奥深い姿に変えた。釈迦が我が国に渡ってきて千年以上も経つので、きっと帰化して日本国籍を持っているのは間違いない  

厳格なキリスト教やイスラム教に比べ、結構いい加減な宗教とも言えるが、異教徒を滅ぼす戦いの宗教にならなかったのは幸運だった。合掌。


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