理路雑然 /-111-
2018年06月08日(金)
特集記事
理路雑然
「学問のすゝめ」と言えば福沢諭吉と皆知っていても、ちゃんと読んだ人は少ない。若い諭吉は人並み外れて優れていたが、下級藩士の出身のせいで認められず苦労した。このことは諭吉の思想を理解する重要な鍵となる。明治5年発行の150年近く前の本なので、言葉も難しい。自己流に要約してみた
「封建社会の身分社会がなくなり、これからは人に、生まれながらその身につく位などというものはない。その地位はただその人の才知と行いによる。例えば政治家や役人を皆がおろそかにしないのは、生まれ育ちや役職が貴いからではない。その人が才徳をもって役目を勤め、国民のために法を取り扱うのでこれを貴ぶだけだ。人が貴いのではなく、国の法を重んじるからだ。身分だけで高慢に振る舞うのは勘違いだ
事業家や大きな農場主は多くの人の生活を守り、社会の役に立っているので人々が尊敬し従っているのだ。それができるのは遡れば彼らの先祖が高い志を持って力を尽くしてきたからだ。裕福だからではない。だから上に立とうとする人は、その目指すところを引き継ぎ、学び努力しなければならない。『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と言うが、現実にはそうなっていないのは、学問をしたかどうかにかかっている。学問と言っても必要なのは役に立つ学問(実学)だ。それもしない無知は罪である」
我が身を省みると辛いお言葉だが仰せの通り。諭吉は理想論の一方で、自分の息子たちのできの悪さのため苦労した。現実はもっと厳しかった。