理路雑然 /-112-
2018年06月23日(土)
特集記事
理路雑然
北海道の旭山動物園でキリンの親子を見たとき、いつか聞いたセリフを思い出した。「ラクダは砂漠に住むがキリンは砂漠にいない」。キリンは遠くまで見渡せるので、水や食べ物がないことを知り絶望し砂漠を去る。ラクダは遠くが見えないので、もう少し歩けばオアシスにたどり着くかもしれないと歩き続けるからという。わからないことが希望の動機になる
人はどうやらラクダに似ている。見えるのは身の回りや今この時だけで、明日のことは見えないし知ろうとしない。演歌のセリフに「知って不幸になるよりもずっとだましてほしかった」というのがあった。ドリス・デイのケセラセラという歌も思い出す。「♪ケーセーラセラ、なるようになる?未来は見えないお楽しみ♪」。過去や現在に心配していたら、その気持ちでしか世界が見えない。くよくよ考えないで、ゆったりほんのり前向きな気持ちであれば、そう信じたように世界は見えてくるし、なっていく
必ずしも先が見えることが良いとは言えない。背が高すぎると都合の悪いことも多い。まず鴨居に頭ぶつける?。物事に悲観的になる。宝くじは合理的に考えれば当たらないにもかかわらず、希望と夢をくれる。長年買ったことはないが
動物園では水槽にいるカバを横から見学できる。日頃思っているカバのイメージとは違い、水の中を生き生きと飛ぶように泳ぐ。ペンギンだってヨチヨチ歩きからは想像できないほどスピーディだ
「♪ケーセーラセラ、なるようになる?未来は見えないお楽しみ♪」