理路雑然 /-113-
2018年07月14日(土)
特集記事
理路雑然
「歴史は勝者が作る」。勝者は自己を正当化し、敗者の歴史を抹殺し、悪人・愚か者に書き変える。古来繰り返されてきたことだ 事実は一つだが、同時代でも語る人によって解釈は色々だ。時を経ると読み物や芝居の脚色で余計事実から遠ざかる。歴史小説や大河ドラマなどは、歴史を知る人から見るとメチャクチャだ。特に女性の原作、脚本家だとホームドラマになっていると評判が悪い
近年歴史に関する研究が俄然面白くなってきた。軍記物や為政者の残した正史に対し、関係した人たちの日記や手紙の掘り起こしが進んでいるからだ。これらの記録は立場によってことの見方が異なっていて、だからこそ推理も様々。解釈はいくつもできる。この方が歴史書や読み物より人間的で面白い
西郷隆盛、吉田松陰、坂本龍馬などが活躍する幕末・明治維新の英雄の話も、薩長土肥による相当疑わしい勝者の歴史だ。米沢藩士だった雲井龍雄が書いた奥羽諸藩の決起を促す名文「討薩ノ檄」を読むと、「薩摩は尊皇攘夷を主張したが、権力を握ると手のひらを返すように外国に迎合した。その主張はただ幕府を倒す為の悪巧みだったのか!。略奪や放火、強姦、殺戮、残虐行為を重ねながら官軍を名乗った。これは幼い天皇を利用して邪悪な政治をし、天下を欺き、私欲をなし、道徳を冒涜し、伝統や制度を破壊し、天皇に汚名を負わせている。その罪を問わなくてはならない」。多分これは、何が争われているのか理解できない武士や庶民の本心だったろう。