理路雑然 /-119-
2018年10月13日(土)
特集記事
理路雑然
昨今、人種差別同様に性(女性)差別が批判されている。MeTooの抗議デモやセクシャル・ハラスメントの報道が多い。更に美人コンテストやミス何とかも廃止されつつある。「結婚まだ?」「お子さん何人?」も要注意。女性への偏見であり差別、不公平とされることも
女性の「魅力」「出産子育て」に憧れていたおじさん世代はいささか混乱する。何故なら、女性の化粧、衣服とデザイン、しぐさなどは、元をたどればセクシー(性的魅力)であることを強調するもので、男性を引きつける手段が進化したものだ。それは人類文化の重要な構成要素だった。このことは間違いない。それが差別と言われると困る。「男らしさ」「女らしさ」の根本が揺らぐ
もちろん、不利な立場にある女性への強要や無神経な人権無視、淫らな行動は許されない。特に金や権力による強要は軽蔑されることだ
性差別だけではない。過去の歴史は強い者が正しく、弱い者は従わざるを得ない歴史だった。社会も国もだ。その価値の転換はキリスト教から始まったという説がある。キリスト教徒はローマから迫害され、弱く貧しいからこそ正しいと考えた。今も、共産主義、社会主義がその流れをくむ。人類の歴史から見ればつい最近の流れだ
このことがケダモノから人間に進歩する過程と考えればそうかもしれない。常識も変化している。いや我々が常識の範囲と考えていること全てが見直しの俎上に上がる。人ごとではないよ。