理路雑然 /-125-
2019年01月19日(土)
特集記事
理路雑然
新たな年は選挙の年。地方選挙、国政選挙の候補予定者は旧態依然の選挙運動に余念がない
絶対君主の時代は簡単で、国民は黙って従い、裏で不満さえ言っていれば良かった。いよいよの時は首をすげ替えるだけだった
今の代議員制の選挙や多数決原理は現代民主主義の基本だが、近年その限界と議員の資質に有権者が疑問を持つ事例が目立つ。もともと人並み優れた人(選良)が選ばれ、その高い見識が無知な一般大衆を導くという楽観的な前提認識があった。もちろん大衆は雑多な問題を理解し関わる余裕はない。その方が有り難かった。しかし大衆の意識が高くなったこれからもこのままで良いのか
議会が全有権者の縮図ならば右も左も、金持ちも貧乏人も、利口も馬鹿も、その比例配分で議員が選ばれても良い。いや今は有権者のほぼ全員が直接政治に参加する直接民主主義も技術的に可能だ。スマホで投票や議案の賛成反対を集約でき面倒な手続きは省ける。現在の選挙の平均的な投票率は50%位だからそれ以上になるだろう。ただしその決定の一貫性、継続性は無責任で怪しいが
多数決という手段も疑問だ。自分の生命に関わる問題を全体の多数決で決められてもかなわない。基地問題などがそうだ。国の国防を前提に日本全体で投票をやれば、同情票はあっても基地反対派は多数決で負けるだろう。負けても納得しない。世界は世論の分断に陥っている。多数決はそんな欠陥がある。