特集記事

理路雑然 /-128-

2019年03月02日(土)

特集記事

理路雑然

航海中に台風に遭遇したら大変な恐怖だろう    

「遣唐使全航海」という本に出会った。遣隋使の後の遣唐使200年にわたる15回(諸説あり)の記録だ。原資料は「日本書紀」「続日本記」、唐の記録などで漢文。読み下し文さえ難しい   

唐への朝貢は日本側の記録では対等な立場を装うが、唐史は臣下の礼と記す。1回の派遣で船は2艘から4艘。航海ルートは朝鮮半島沿いの北路、直接大陸に向かう南路、沖縄列島を伝う南島路があった。1艘あたり100人から150人。総勢600人になることも。半分は水夫などで、到着後長安まで行けるのは50人前後。残りは港で使節の帰りを待った   

構成は大使と随伴、留学生、留学僧。持ち帰った文物や、空海・最澄が伝えた仏教は旧来の文化を感化し、後の日本文化の底流となった   

大概船の長さは30m、幅8m前後。漕ぎ手もいたが、網代帆で帆走し、早ければ7日で渡海した。ヨットと同じく追い風でなくても目指す方向に進めた。難破や漂流、ベトナム付近までの遭難例もあったが、計36隻(帰着26隻、7割強帰還)、人員は8割強が帰国した   

航海ルートや風待ちに、肥前松浦、生属島(生月)、対馬阿禮村、壱岐島、遠値嘉村(小値賀)、橘の浦(福江玉之浦)、有救島(五島宇久)など見えて嬉しい   

古代とはいえ、高度な技術で名の残る英雄達を支えた、船大工や、船頭、水夫という名もない人達との総合力外交だった   

我々建設業の仕事もよく似ている。今も昔も同じだ。誇りを持とう。


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