理路雑然 /-138-
2019年08月10日(土)
特集記事
理路雑然
アダムとイヴが楽園を追われる絵を見たことはおありでしょう。そのとき二人ともへそがあると気づかれましたか
アダムは神が自身の姿に似せて土から作り、イブはアダムの肋骨から作られたはずなのにへそがあるのは変だ。へそは親とのつながりの痕跡だから
すると信者の方から宗教・信仰は理屈ではないと諭された。心の世界なので科学の視点で細部をあげつらうのは見当違いだと。確かにその通りだ
地球は球形であり、動いているのは天ではなく地面の方という「地動説」を主張したガリレオが裁判にかけられてから、その判断が間違いだったとローマ法王庁が謝罪したのは400年後だった
小泉純一郎元総理が進めた「三位一体」改革(国税から地方税への税源移譲、補助金の廃止・削減、地方交付税の見直し)もウケ狙いの安易な用語転用だった。三位一体とはキリスト教世界で悩みの種だった「神」「イエス」「精霊」の関係性の疑問を整理するため考え出された重要な教えだ。政治への言葉の使い方に非難もあった。三位一体「改革」の狙いは大岡裁きの「三方一両損」だったが結果は一方三両得の結果で地方は疲弊した
「救世主」(メシア)はイエス・キリストのことで人類を救済する者の意味。どちらも安易に使うことのできない大切な宗教用語 仏教もそうだが宗教用語はもともと深い意味があるが娑婆の我々が使い始めると下世話になってしまう。そうそう娑婆も元はサンスクリット語で深遠な言葉です。