理路雑然 /-154-
2020年04月04日(土)
特集記事
理路雑然
世間を騒がす様々な事件の流れはどれも同じ法則性がある まず事件発生。情報量が少なくメディア全てが同じことを繰り返し伝える。経過情報が重要性に関係なく波寄せる。恐怖心と緊迫感が高まる。メディアの紙面や時間を占領。他の話題は激減、事件に意識が集中する。専門家と怪しい有識者が登場。テレビ芸人、学者、政治家が連日舞踏会を催す。無責任な受け狙い、出所不明の新説、危機感が増幅。テレビや週刊誌、ネット情報、デマが氾濫し混乱。トイレットペーパーが売り切れる。人権もなにもない。マスコミは読者に応え一色に染まる。世論が単純化され集約されていく。意識操作への疑いも持てない。自粛ムード。異論は非難される空気。疑問はかき消される。情緒的世論、敵か味方か、パニックとヒステリック。冷静、合理的、客観的な意見は変人扱い。野党政治家が政府や行政をここぞとばかり攻撃する。その犠牲者が出る 事態が長期化すると関心が薄れ、人心は慣れていく。飽きる。そのうち少しずつ真実がわかってくる。自分は前からわかっていたと自慢げに語る人が現れる。そして次の話題が登場する このように事件は同じパターンの流れを辿る。メディアは冷静に事実を発信しているつもりでも、ビジネスであり、受ける側の期待に応えるものになりがちだ。それに伝えた責任はないし取らない
私たちに必要なのは、今現在、法則の流れのどこにあるかを冷静に判断することだ。難しいことだが、すべて受け取る側の責任とする心構えが欲しい。