理路雑然 /-170-
2020年12月19日(土)
特集記事
理路雑然
「与太郎」は落語によく登場するキャラクター。人は良いがいささか間が抜けている。それが笑いのネタにされても、微笑ましく愛すべき役柄
どうやら人の世は、利口で、計算高く、堅苦しい性格より、どこかとんまな人を好むようだ。あの人はいい人だと言うときそんな要素が含まれている。逆に完璧さは冷たい人と警戒される
「与太話」とはたわいのないデタラメな話、馬鹿げた話のことだが、これがなくちゃ人生面白くない。井戸端会議や通常の我々の会話がそれだ。このコラムのネタもその部類。真っ当な話ばかりではつまらない
与太郎と似ているが「与太者」「よたもん」というと意味が違ってくる。遊び回る不良、嫌われ者、鼻つまみという感じだ。ところが更に進んで放蕩三昧で道楽・趣味を極めた人を「極道」と言う。遊びの道を極めたという表現。それで身上潰したという高水準。どこか尊敬と羨望の意味がある
しかし同じ「極道」でも極悪人、ヤクザもそう自称する。道を外れたという意味で外道、邪道とも。同じ文字の極道だが意味が違う
落語の話に戻るが、スマホには音楽と古典落語の名作を沢山入れている。いずれも昔の噺家なのだがまったく古臭さを感じない。今も生き生きと語りかけてくる。時代が変われば苦労も悩みも変わってくるはずなのに、同じように笑い、怒り、涙ほろりとする世界がある。いい奴も欲の張った悪い奴も登場するのは今も同じ。悲しみも貧しさも笑い飛ばす力強さが好きだ
酔うた郎(よたろう)の与太話でした。