理路雑然―185―
2021年10月02日(土)
特集記事
理路雑然
本当の話らしいのだが、ある国が軍の構造を無人化しようとした。兵士の代わりにロボット、パイロットの代わりに無人の遠隔自動操縦による攻撃というわけだ。核兵器はあっても使えないし、サイバー攻撃が当たり前になってきた。兵士がいなければ戦死者を出さず、天候に左右されず、経済的で正確、労働時間も関係なし。戦術戦略さえAIが判断し指示する。多くが電子化される中で、人の判断や技能の役割が相対的に低下している▼しかし、しばらくしてこの計画は頓挫した。少なくなる費用とは別に新たな費用と手間、人が必要になったのだ。戦闘機でいうと、高価な機体、新たな高度精密器機の設置と操作、その保守管理、膨大な情報の収集と分析システム、関わるエンジニアの育成と教育の費用、などなどが数百倍に上ることが分かった。机の上で考えたことは現実を見通すことができなかった▼同じことが社会のデジタル化を標榜する現在も進んではいないだろうか。役所や大企業はインターネットから送られてきた利用者データをコンピュータで瞬時に処理するので省力化できる。しかしそれが使えない利用者はこれまで以上の不自由さに困るし、手間や要する金銭もかかる。受け手側には見えない費用が発生しているのだ。それを利用者に押しつけているだけのデジタル化が見受けられる▼デジタル化は時代の動向だし重要だ。しかし変化に伴い発生するであろうことへの方策を同時に考える必要がある。デジタル化そのものを目的化することは愚かしい。その見極めは難しいが欺かれないよう注意がいる。